平成24年文教常任委員会閉会中  本文

◯松谷参考人
御紹介いただきました松谷でございます。在職中は大変お世話になりまして、ありがとうございました。
では、座らせていただいて、説明させていただきます。
きょうも午前中、雨のところ管内視察ということでお越しいただきましたが、雨は植物園にとっては命の水でございますので、植物園には絶対必要でございます。
限られた時間ですので簡潔にお話をさせていただきたいと思いますけれども、きょうのテーマにつきましての私の話というのは改めて今、考えたものではなくて、在職中に、こうあるべき、こう思っていたということのお話になろうかと思いますので、御了承いただきたいと思っています。
それでは、早速でございますけれども、京都府立植物園は、きょうのテーマを語る以前に、来年で90年目に入ります。非常に長い歴史を持っていますので、植物園の歴史というものを若干振り返ってみながらのお話をさせていただきたいと思っています。
まず、正面に掲げております図ですけれども、これは植物園会館の屋上から東のほうを撮った写真でございます。ここにちょろっと茶色く見えているのは屋根でございます。この姿こそが私は北山文化環境ゾーンのシンボルとなる光景ではないかなと思っております。大正6年ごろに植物園を設計しているのですけれども、その設計された方のイメージとして、比叡山あるいは東山連峰を背景にした日本一の植物園をつくろうという、そんなことを考えられていたのではないかなと思っていますので、この光景というのは本当にすばらしい、比叡山を見る光景というのは京都市内のどこからよりも一番美しい光景ではないかなと思っています。遮る構造物が全くありませんので、植物園にはもう1カ所、こういうすばらしい光景のところがございます。
きょうのお話というのは大きく分けて6項目ぐらい考えてきたのですけれども、歴史と、植物園とは何なのだという中でいろいろな危機を迎えました。最近の入園者数はどうなのかということとか、京都府立植物園のあり方はどうなのだろう。これがきょうの本題かなと思います。それと、植物園というのは大正13年に開園いたしましたけれども、北山、あるいは北大路、あのあたりの近代化に果たした役割というのは大変大きかったように思っています。おわりに夢ということなのですけれども、これは在職中から考えていたことのお話になろうかと思います。
植物園の場所というのは、京都府内の方ならば大体あのあたりだなという想像はつくのですが、他府県から来られる方にとってはなかなか位置関係というのがわかりません。それで私がよくお話しするのは、「賀茂川の上流で」というまず大前提をお話しして、金閣寺、上賀茂神社、下鴨神社、そして銀閣寺に囲まれています。この四つは全て世界遺産でございます。そのほぼ中心に植物園があるというお話をさせてもらって、京都駅から地下鉄でたったの15分、わずか15分で来られますということで、最近ではそれが本当に大阪あるいは兵庫県からのお客さんなども多いという結果にあらわれています。
上は歴史と書いてございます。大正13年の1月1日が有料開園ということで、いろいろな歴史の中では開園がこの1月1日ということで書いてございます。当初は「大典記念京都植物園」という名称でございました。90年という歴史を重ねますと、いつもいい時代ではなくて、京都府立植物園も顧みますと本当に艱難辛苦な歴史、波瀾万丈の歴史があったと思います。特に私が思っているのは、大きな危機が2回あったということでございます。一つ目は戦後の話、連合軍に接収されたということと、二つ目の危機というのが私はこれはサッカー場の建設案が出てきたときかなという、そんな気がいたしています。このサッカー場案につきましては、私が当時、園長の一つ手前の技術課長という時代だったのですけれども、全然現場の者はわからない間にパッと新聞に出たという経過がございます。
京都府立植物園は、大正2年に京都府があの場所に土地を購入したという経過がございます。この写真がその当時の写真なのですけれども、ここにおられる方たちの中に、土地購入あるいは植物園建設に御尽力していただきました第10代の京都府知事、大森鐘一知事がどこかに写ってられるのと違うかなと思っています。これは賀茂川のどこかから撮った風景だと思いますけれども、ここにぽこっと出ていますのが半木の森といいまして、ここのところに実は半木神社というのが鎮座しています。上賀茂神社の境外末社でございます。
当初は、植物園をつくろうではなくて、大典記念の内国博覧会会場の予定地として京都府が土地を購入いたしました。これが大正2年の地図なのですけれども、これが鞍馬口通です。そこから北はほとんど建物らしい建物はなくて、鞍馬口通の南と北とで洛中と洛外というのがよく分かれているということがわかっていただけるかなと思います。当然、北大路橋もございません。だけど、ここのところには大典記念の博覧会会場予定地として既に計画ができておったという歴史事実がございます。
きょう金子園長が御案内したと思いますけれども、正門を入って100メートルも行かないところの西側に大典記念碑というのがございます。三井同族会から大正の時代に55万円の寄附もいただいたということで、当初は博覧会会場予定地がいろいろな事情で断念いたしまして、それではということで、何か社会教育施設をつくろうということで、当時の大森知事と三井同族会の思いが一致したということを聞いております。「それではここに日本一すばらしい植物園をつくろう」ということになりました。
いろいろな艱難辛苦の歴史のある中で、自然災害というものも非常に大きなダメージを植物園に与えました。昭和9年の室戸台風、そして翌年に京都大洪水です。これで植物園にある樹木もかなり倒れてしまったという、これは避けて通れないといいますか、そういう自然災害もございました。
それから、第一次危機というのは、戦後、昭和20年から32年までなのですが、連合軍の家族用住宅地に指定されたということで、指定前二万数千本あった樹木が、解除されたときには6,000本に減っておったということになります。昭和32年に契約上返ってきたのですけれども、そこからこういう建物などを競売あるいは撤去に1年かかったということでございます。昭和33年12月に事実上返ってきてから、再開園が昭和36年になるわけですけれども、この3年ぐらいの間に我々の先輩たちが植えよ植えよということで樹木あるいは植物を植えてくれまして、現在、樹木はほぼ5万5,000本ほどございます。
再開園のときに京都府立植物園という名称に変わりました。この再開園するときにもいろいろ議会のほうで御議論いただいて、植物園にするべきか、いや、違うものにするべきかという議論があったように聞いておるのですけれども、府民の皆様方の本当に温かい背中押しといいますか、元の植物園に戻してくれ、公園にはせずに純粋な植物園にしてほしいという意見が圧倒的に多かったということを聞いております。今ごらんいただいているこれが二代目の温室でございます。ドーム型です。
京都府立植物園というのは、きょう金子園長から御説明いただいたかと思いますが、面積が24ヘクタールととても広い、甲子園球場が6個入るということでございます。植物園ですので、公園とは全く違います。植物園の植物園らしいところは、世界の生きた植物を生きた姿のまま皆さんに見ていただくということが大きな使命ですので、1万2,000種類、これは現在はもう少しあるかなと思いますけれども、1万2,000種類。12万本、あるいは12万株ということでございます。再入園できるという大きなメリットもございますし、入園料が安い。これは入園料が大人200円、高校生150円、小・中学生80円となっていますけれども、温室に入っていただくのも同じ値段でございます。ときどき開園時間を延長しているということで、9時から5時までではなくて、春のシーズン、あるいは夏、あるいはこれからクリスマスのときにすごいことをやりますので一旦閉鎖して、5時半からまたスタートということになります。そういうこともやっております。府民サービスに努めているのがメーンになってきております。結果として、この時期に、日本の国内の総合植物園としては入園者数がトップになったということでございます。
これは私の思う第2次危機なのですけれども、平成4年度に今現在の新しい観覧温室ができました。3代目の温室でございます。後で出てきますけれども、そのときには入園者数が年間144万人というとてつもない数字をたたき出しまして、私はその平成4年度が第2次危機のちょっと始まりかなという感じがしています。1年たちますと40万人減りまして100万人ちょっとになったという傾向がございました。それと、指定管理者制度というのができまして、公のそういう施設の管理運営というものが民間でも可能になったということでございます。
それと、私が決定的に思ったのはこれかなということでございます。入園者数もずっと下がってきたり、指定管理者制度ができてきたり、このときは年間60万人を切った時期もあったのですけれども、京都府の施設として考えた場合は、もっとたくさんの人が来るべきではないかという議論になっていたのかなと思います。それと、当時、サッカーの京都サンガが天皇杯で優勝したということもあって、京都市にサッカー場がないからどうしようという議論の中で、植物園も候補の一つに上がったということでございます。今の議論ではなくて、一番最初のときの議論でございます。植物園というのは地味な存在なのです。全然目立ちません。だけど、我々としては何とかたくさん人に来てほしいな。そこで、どうしようということでいろいろ思い悩みまして、北海道の旭山動物園へ行きました。それと、私は農林水産部の林務課から植物園に行きまして、そうすると私よりも長く植物園に勤めている職員がたくさんおりますので、その職員にどうしたらお客さんが来るか教えてくださいというようなことを一対一で聞いたりしまして、これは職員との勝負という言葉で、ちょっと言い方がまずいかもしれませんけれども、そんなことを考えました。
それまで植物園が、まあ言えば、あぐらをかいておればお客さんも来ていただいたのですけれども、それではだめなので、植物園とは何ぞやということをもっと外に向かってPRしないと、これはお客さんに来ていただくことはないなという思いもありまして、植物園として大いに反省をいたしました。危機感を抱いて、これを職員にも伝えないと話にならないなという思いがありましたので、もう一回基本に戻って、植物園とは京都府立ということで、府立の重みを職員たちと共有いたしまして、税金で成り立っているということをみんなどう思っているのだということも職員には話をしました。人を入れるために何をしてもいいということではなくて、植物園ですから王道で勝負。これも植物を見ていただいてお客さんに来ていただく。直球勝負でやりたいということで、その植物財産を還元するにはどうしたらいいのだろうということで職員たちに投げかけまして、この言葉を会議の席上で言いまして、2階の研修室があるのですけれども、「みんなちょっと窓の外を見てくれ、葉っぱ1枚、枝1本あるけれども、あれは税金だから、これを還元するのはどうしたらいいかみんなでよく考えてくれ」という話をしました。
その中で、今までの待ちの姿勢ではなくて、植物園をPRしていかないとだめだということで、見ていただくという姿勢で努力をしよう、攻めの姿勢ということをみんなに伝えたつもりであります。ここは公園ではないのだ、ほんまもんの植物園だから、ほんまもんの植物で勝負をしたいということで職員たちに伝えまして、その結果として、植物園というのはすごい総合力があります。朝から晩まで職員は見ていますし、それから1年中植物園の姿を見ていますので、どういうところにどういう植物を植えれば、それとお客さんの動線、誘導するのにどうしたらいいかということもいろいろ考えてくれまして、これは職員的にはこういうことも言いまして、対外的にはいろいろなところ、特に行政内部の皆さんとか、外の方たち、いろいろなところに現場の思いを真摯に伝える。特に行政内部の皆さんには本当に現場の思いを真摯に伝えるということを行いました。
これが職員一人一人に聞きに回ったときに記録をしたノートなのですけれども、公の会議の席では全く手が挙がらないのですが、一人一人聞き回りますと、最低30分以上、「実はこう思っているのやけど」という話をいっぱいしてくれまして、A3で6枚ぐらいになりましたかね、いろいろ話が出てきたのですけれども、特にしびれた言葉を一番上に書いたのですが、「ぐちゃぐちゃ言わんとやろうやないか」とか、「全職員が危機意識を持つ」、これは職員一人一人から出てきた思いを羅列したものでございます。この辺とか、「入園者への対応、気持ちよい応対」とか、「こんにちは、ありがとうございました」、一番下の「見せてやるから入れ」ではなく、「どうぞ見にきてください」という態度を示さないとあかんやろうということをまた職員に返しまして、みんなが思っていることだから、これに基づいていろいろやっていこうやないかということで、意思統一ということをやっていきました。
これが最近の入園者数ということで、直近はちょっと出せていません。この年が144万人。新しい温室、あるいは北山門などができた年度です。それからずっと右肩下がりになって、指定管理者制度、あるいはサッカー場の案が出てきた、このころです。
これが今回のメーンになるかもしれませんけれども、植物園とは何なのだという話をしたときに、よく「公園とどう違うのですか」という話も聞きます。公園も植物園も同じ空間があって、同じ緑があって、そこへ行けば皆さん心が安まりますし、癒されるという言葉なのですかね、そうなりますけれども、植物園の緑と公園の緑の質的な中身が全く違います。この辺のところをもっともっとPRしていかないとだめなのかなと思っています。まず、植物園というのは生きた植物の博物館です。ここにはアカデミックさ、あるいはサイエンスの使命というのがありますので、どこかで誰かがつくっているものを適当に植える、そうではないというところです。世界の植物を生きたまま生かし続けること、あるいは種で保存してDNAを保存すること、そういうサイエンスが使命になっていますので、これがまず第一になります。その次に、それらをうまく活用したエンターテインメント。これはそれぞれ独立しません。このエンターテインメントというのは、植物園はお金を取って来ていただく施設ですので、その中には楽しさとか、感動とか、知的好奇心を満足していただく、そしてレクリエーション機能ももちろんあります。それが大きな社会的貢献を果たしますので、生きた植物の博物館と社会的貢献は両立させていかなければなりません。それが成り立ったら初めて京都府の皆様に、植物園というのは文化・環境・憩いの場の象徴的存在として認められるのかなという思いでありますし、これを認めてもらうように植物園は毎日毎日努力をしていかないといけないと思っています。それが地域、あるいは市民の方、府民の方、国民のために役に立っているのだろうと私は思っています。地域があっての植物園ですし、地域の方も植物園があっての地域と思っていただきたいという思いがあります。でも、こういう植物園というのは京都府の施設として運営をしていかなければなりません。ここのところに経営感覚というのも必要になってくるかなと思いますし、単に経営感覚といいますとお金をもうけてということになるかもしれませんけれども、そういう経営ではなくて、植物を皆さんに還元することによって一人でもたくさん来ていただく、植物園のことを知っていただく、それが経営感覚になるのだと私は思っています。そうなるためには、平たく言えば人・物・金ですけれども、人材が一番大事になってくるのではないかと思っています。
ここで生きた植物のということを言ったのですけれども、植物、あるいは動物でもそうなのですが、生き物ですので、これを守り抜くということは本当に大変です。有機物です。無機物を長く保存するのも大変だと思うのですけれども、生きている植物ということについては、税金で収集していますから、枯らすことは許されないのです。職員はそこに物すごいプレッシャーを感じたりしていますけれども、そういうのもありますので、特に植物を栽培する情熱を持った人が本当に欲しいなという思いがあります。90年の歴史がありますけれども、その間、世の中、経済的あるいは社会的に物すごく変動があったと思いますけれども、どんな時代でも植物園は本当に凛とした存在でなければならないと思っていますし、最近では公の施設として運営する重要性が当然問われます。民間との差別化も必要になってきます。一番大事なのは、社会的にもっともっと認知してもらわないと植物園の存在が忘れ去られますので、それはしてはいけないということで、外へ打って出ることも必要ですし、一番の基本は税金を還元していくという意識かなと思います。
人が大事という話をしたのですけれども、世界の植物を扱っていますと、例えば夏場には水をやらなければいけない、夏場は水をやるものだというイメージが我々は強いかと思うのですが、夏場に水をやると枯れてしまう植物も世界にはあります。だけど、それを本当に2年、3年かかって花を咲かせて、皆様方に喜んでいただける、それが大事かなと思いますので、それがほんまもんの植物園の使命かなと思います。本当に粘り強い地道な努力が必要です。それで、うれしいことに2年連続、去年の春の叙勲、ことしの秋の叙勲、栽培技術担当の我々先輩ですけれども、2年連続で瑞宝単光章をいただきました。物すごくうれしかったです。
花を咲かせるだけではなくて、世界のトップクラスの植物園へ行きますと、その植物を保存するというのが大事なことになってきます。さく葉標本、これは押し葉ですが、標本庫ですね。そんなものを保存しているエリアです。京都府立植物園は大体2万から3万点、こういうのがございます。だけど、世界のトップクラスへ行きますと、これはイギリスのロイヤルキューガーデン、世界ナンバーワンと言われているところですけれども、700万点です。圧倒的に個体数が違いますし、標本庫というのは爆弾が二つや三つ飛んできてもつぶれない地下にあるとか、そんなレベルでございます。
きょう先生方に見ていただいたところは表だけでしたか。バックヤードは実は本当に大事なところで、きれいな花を咲かせるためにバックヤードというのがあるのですが、そこのところが、私は園長になるまでバックヤードは台所だと言っていたのですが、台所では生っちょろいなというのがわかりまして、バックヤードは心臓だと言いかえました。バックヤードは一見無駄な空間に見えるのですが、全然無駄な空間ではなくて、バックヤードの広さこそが植物園のレベルを示すと言われています。ここのところで、世界の植物園から種をいただいたものを、職員が種まきからして花を咲かせます。そんなエリアがここです。今、写真に写っていますのは植物園内の落ち葉を全部こういうところに集めまして、我々ハーモニカと呼んでいるのですけれども、腐葉土にするためにかき混ぜています。発熱反応しますから、蒸気が上がっています。
これがバックヤードの一部なのですけれども、こういう建物がたくさんあります。その中で植物の栽培管理をしています。もちろん絶滅危惧種なんかもたくさんあります。
これが種を保管している冷蔵庫です。これは普通の冷蔵庫なのですけれども、世界の植物園ではこんなものやないですね。全然レベルが違います。
これは種まきからしているところです。日本で手に入る種もありますけれども、日本では絶対手に入らないような植物も種まきからして、花を咲かせます。
これはその担当の職員が記録をしているものです。番号を打っていますね。それと、どういう種類で、いつ種をまいて、いつ鉢上をげしてと、こういうのがずっと続くわけです。1年間で何百種類もあります。これが例えば植物園の花壇ですと、枯れたらすぐ次のものを植えなければなりませんので、担当の職員は、この植物は種をまいて何日後に花が咲くというのがわかっていますから、そういう段取りをするわけです。
これが種をまいて、発芽させて、今、一つの鉢には二つずつ芽を出させるようにしていますけれども、このラベルをきちっと残しておくということが大事になります。幾らきれいな花が咲いても、このラベルが落ちますと植物園的には意味がありません。これが結果としてDNA保存とか、今後の栽培管理に非常に役に立つものです。
これがエキウム・ウィルドプレッティという種をまいて3年目に花が咲くカナリア諸島原産の植物なのですけれども、職員のじょうろの先を見てください。これこそ夏場に株の上から一斉にざっと芯に水をやると枯れてしまうということを経験的に知っていますから、だから自動灌水もなかなかしんどいのです。この職員は一鉢一鉢顔色を見ながら、株の中心に水が当たらないように、株の回りにそっとやっているところです。水量の調整も大変なのです。
そういうバックヤードの話と、植物園の中には我々は知っているけれどもなかなか皆さん方に伝えられていないというお宝の、植物もそうですけれども、エリアもございます。それの一つに並木。私は二大並木と呼んでいるのですが、これはケヤキ並木です。このケヤキ並木は実は3代目になりますが、昭和の初めでしたか、三井家の土地が、今、家庭裁判所がございます。そこのところが元三井家の土地ということを聞いていまして、植物園の職員が、そこからケヤキの実生の種から生えてきた直後の株をいただいてきた。それを植物園に持って帰って、苗畑で養生して、植えたものがこれだということを聞いております。
もう一つはクスノキ並木です。このクスノキ並木から南のほうは接収されていたときにも伐採から免れましたので、結果として樹齢の高い木が残っていますので、この辺の直径の太い木は100年ぐらいと言われています。
このクスノキ並木は文学にも登場します。川端康成さんの「古都」という小説に8回登場するものです。それと、岩下志麻さんが、これは昭和38年なのですけれども、主演女優として「古都」に出られまして、撮影を植物園に来てやっていただいた。これは2代目の温室です。
これがそのクスノキ並木なのです。まさにここのところで、「古都」に出てくる千重子さんが歩いている場面でございます。この向こう側が明るくなっていますので、ここが芝生地でありますから、大体どのあたりかなというのがわかります。
冒頭にも申しましたけれども、比叡山の眺望というのは本当に京都一でございますし、ここのところにあるバラ園も世界的にもすばらしいと言われています。これは冬の比叡山。これは本当にすばらしいです。雪の降った翌日の晴れたときが狙い目です。物すごく美しいです。
植物園の近代化というのは、実は大正6年に、中賀茂橋という橋が、余り歴史に出てこないのですけれども、今現在、北大路橋がございますが、それより二、三十メートル北に中賀茂橋がありました。これは植物園の資料を見ていますと、植物園建設の資材搬入のためにできたという記録があります。当時珍しくコンクリート橋だったという記録がございます。市電の終点が中賀茂橋の西詰めということとか、市バスが初めてできたルートの出町柳から通ったルートが植物園前だったという、これは昭和のちょっと後なのですけれども、そういうのから考えますと、第1次の近代化は大正6年ごろかなと思いますし、第2次の近代化は再開園したころかなと思います。
第3次近代化はいつかというのはなかなか判断は難しいのですが、私が考えるに、三者包括連携協定を行った年がホップで、府立植物園整備計画ができた年がステップで、これも整備計画に書いていただいていますけれども、植物殿堂館ができたときがジャンプかなと、そんなことを思っています。
これは私の当時から抱いていた夢なのですが、殿堂館構想。京都には自然史博物館施設がございませんので、そのうちの植物部門の殿堂館があればいいなと思っております。京都府立植物園へ来ていただければ植物の全てがわかるという、そんなことになればいいなと思いますし、そのためには少なくとも京都府内に自生する植物全てを生きた姿で展観させたいという思いを持っています。それができれば、きょうのテーマでもあります北山文化環境ゾーンの物すごいシンボルになるだろうと思いますし、それは京都府の財産だけではなくて、本当に日本の財産になると思いますし、これは金子園長とも昔よくしゃべっていたのですけれども、世界のベストファイブには入りたいねという思いというのがあります。これは夢ですので。
ということで、今からはメーンの話から外れるかもしれませんが、クリスマスイルミネーション。これも職員にいろいろ聞きに回ったときに、温室植物を夜に見せようという発想がありまして、それはおもろい。だけど、温室は両方の門から余りに遠いから、それならイルミネーションをやろかという話をしまして、これは予算が必要になりますので、いろいろな折衝をして今日に至っていますけれども、12月15日から行うということを聞いております。
これは北山から入ったところのトウカエデ、本当に美しいものでございます。この写真は2年連続、新聞にも掲載していただきました。
先ほどのものが大人コースとすれば、これが正門から入ったところの子どもさんも楽しんでいただけるようなコースですし、この観覧温室は夜、無料になりますので、夜の熱帯植物は、幻想的なものを感じていただけるのではないかと思います。
ということで、ちょっと早口になって申しわけなかったのですけれども、私からの意見ということでございます。どうもありがとうございました。

◯荒巻委員
午前中のほうに行けてなかったので、もしかしたらいろいろ話に上がっていたのかもしれませんけれども、私は幼少時代からこの北山文化ゾーンの付近というか、中で育って、本当にふるさとの風景というか、またいろいろな推移を見てきたわけです。今、こういう形で施設の充実をしていただけて、また新たな次の世代の形をいろいろ構想していただいて、御尽力には本当に感謝します。
この話は、北山地域をどうこれから発展させるかという側面のことも地域の人は大変関心があると聞き及んでいるのですけれども、商店街とか町内会とかいろいろ言葉が出てきたので、どういう御意見を反映していこうと思っているのかとか、どの程度の連携とか、そういう話し合いの場があるのかとか、そういう進捗の話を聞かせていただけたらありがたいと思っているのです。相乗効果を生んでお互い発展していただけたらいいなと思っていますので。

◯金子京都府立植物園長
地域との連携ですが、植物園のほうは北側が北山街がありますし、南側が北大路商店街ということで、両方の商店街との連携について、私も植物園へ行ってようやく7年という状況の中なのですけれども、地域との連携というのは非常に重要視しておりまして、まず最初に、そういう地域での連絡協議会といったものをつくった中で意見交換してきましたし、イベントの折なり、いろいろな審議会の折には各商店街から代表者を出していただいてやっているという取り組みを行っています。また、近年は、上賀茂神社のほうで葵プロジェクトということがありますので、そこへは副園長が参画して意見交換をしているということで、地域の声をできるだけ聞き取っているという状況です。

◯荒巻委員
立ち上がった協議会の中でどのようなお話をしているのか、また、本当に動員策であったり、来ていただいた方に本当にこの地域を愛してもらうための囲い込みの方法とか、それぞれ地域といっても町内会だけではなくて、商店街とかいろいろな役割分担の形とかで御提案とかもあったりするのではないかと思って。その商店街の多くの人たちで半木の道とかのいろいろなメンテナンスとか、ボランティアとか、植物園周辺の一帯にかかわっている人らもいっぱいいると聞いているのですけれども、そういう形でどういう御提案があって、何かより連携体制の具体的なビジョンが生まれているとかがあるのだったら、御紹介いただきたいと思います。

◯金子京都府立植物園長
非常に申し上げにくい部分もあるのですが、私が感じ取っている中では、北山サイドからは、イベントといったところで集客力をアップしていただきたいというのが非常に強く出ています。一方、北大路のほうからは、昔ながらの植物園であってほしいという二つの非常に難しい意見の中で運営している状況がございまして、それを十分に生かしているかどうかというと、先ほど参考人の松谷先生からありましたが、ほんまもんの植物園という部分を若干優先して対応しているかなと思っております。また、北山サイドからの用地のイベントに伴う申し入れ要望とか、一旦、若干延びましたけれども、平成23年3月11日に東北で震災があったときに、1,000人の子どもたちの顔写真をウバメガシのところに掛けたいといった取り組みについても積極的に応援しています。震災後に改めてそれは実施したという状況がございます。

◯荒巻委員
いろいろな事情があるのだと思いますけれども、とにかくこちらはこういう植物園でありたいという理念を思い切り打ち出して変革しようとしているので、いずれにせよ、人に集まっていただくとか、動員という点で本当に理解と協力があればいいなと思っているので、その辺、単に植物園だけを目的に来る人ではなく、北山に訪れる、買い物に来るとか食事に来るとか、またいろいろな目的で、コンサートとかもあると思うけれども、そういう形で何か広告とか、植物園は今こうなったのだよというのを知ってもらう試みの面で連携を強めてほしいなということがあるので、そんなところだけ思っています。ありがとうございます。

◯金子京都府立植物園長
広告の部分で、商店街の部分にミニタウン誌みたいなものがあるわけですが、ああいうところでのPRという状況等はこちらも積極的に載せていただきたいし、向こうからの要請があれば出していく。また、京都コンサートホールでもチラシでの連携を今、行っています。特に直近ではクリスマスのイベント、相互の紹介をしていくということを行っております。

あらまき隆三

荒巻隆三
(あらまきりゅうぞう)

  • 昭和47年10月27日
    京都市生まれ
  • 自民党府議団 代表幹事
  • 議会運営委員会 理事
  • 議会運営委員会 議会改革検討小委員会 委員長
  • 農商工労働常任委員会 副委員長
  • 持続可能な地域社会に関する特別委員会 委員
  • 京都地方税機構議会議員
  • 元衆議院議員
  • 元株式会社ワコール社員

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